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伊達政宗公   仙台城

伊達政宗の自筆書状

(当館所蔵資料)

伊達政宗の文書は三〇〇〇点以上確認されている。その内、政宗自身の筆による書状(=自筆書状)は一〇〇〇点を超える。大名は右筆という代筆者を抱え代筆させるのが一般的であるが、政宗については書状全体における自筆の割合が他大名と比べると非常に高い。政宗の筆まめぶりがうかがえる。展示資料で達筆ぶりもご鑑賞いただきたい。

〈判読〉
     昨日者返答辱候、以上、
   此方ヘ御越、可懸御目与、令
   満足候、今日可参候ヘ共、可為
   御休息与、先延引仕候、何
   様明日わたり参候而、可得賢
   意候、恐惶謹言、
  霜月六日     政宗(花押)
   「            羽越前

〈解釈〉 書状の年次は記載がなく特定できないが、政宗が自身を「羽越前」つまり「羽柴越前守」と称していることから、豊臣秀吉に称することを許された天正十九年(一五九一)から、徳川家康時代の慶長十二年(一六〇七)までの間のもの(慶長十三年前半に陸奥守に任じられ、松平姓を許される。)。花押は政宗のセキレイ型といわれる「公用花押」であり、対外文書と認められる。
 意味は「こちらへお越しになったということで、お目にかかることができれば、ご満足いただけるよう歓待いたします。今日わたしがお伺いすべきところですが、(貴殿も到着したばかりですので)ご休息なさるのがよいと存じ、まずは日延べいたします。何様明日あたりわたしがお伺いして、賢意を得たいと思っております。恐れかしこみ謹んで申し上げます。
 昨日は(わたしの書状に対し)ご返答くださり本当にありがとうございます。以上。」といったもの。
 本資料は、東京大学史料編纂所の影写本『相州文書』中の「甘粕文書」(鎌倉市大船)中にみられ、よって「甘粕文書」から流出したものであることが判明している。

(ゆうひつ)